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冬山合宿報告・北アルプス編その2

湯俣岳〜真砂岳〜水晶岳(往復)

2003年12月29日(月)〜30日(火)

12月29日(月)晴れ時々雪〜風雪
<4:30(起床)-6:20(出発)-12:35(テント場)-13:40(テント設営)-17:30(就寝)>

稜線を歩く

小椋 木野&片岡

小椋:
 朝早くは薄日が差し、雪もちらつく程度。今日は樹林帯から稜線に出るから体力的には昨日ほどつらくは無いだろうと思っていたが、稜線に出て間もなく吹き溜まりのラッセル。傾斜がきつくなるにつれ雪が胸まできて、進もうにも、サラサラの新雪のためでもあって、足場を作っても乗るたんびに崩れ、ぜんぜん上へ登れない。ずるずる同じ場所でもがいているうちにすっかり疲れてしまって、結局トップを代わってもらった。このころ一時晴天となったが、つかの間で、次第に曇ってきて、風も強まってきた。

木野:
 相変わらずしんどいが、ラッセルはそれなりに楽しめた。不思議だ。

ラッセルをする 片岡氏

小椋:
 やはり稜線上は雪が少なく、夏道も所々出ていた。南真砂岳越えて、偵察山行の時も問題になった箇所へ到着。稜線上を行くかトラバースするかということだが、片岡さんの判断によりトラバ−スすることに。結構急な斜面だが、雪がやわらかいので滑落する心配はしてなかった。ただ、一箇所だけ雪の下に岩が出ていて、しかもかなり急なところがあり、急に弱腰になったが、木の枝をつかみ、アイゼンの歯を滑らさないようにして何とか突破。高度感もかなりあって今日のなかで一番緊張した箇所だった。

 お次は真砂岳の巻き道。晴れてれば何とも無いだろうに、この頃には風が相当強まり、雪が舞い上がってホワイトアウトし、視界が利かない。僕がトップにいたが、いつの間にか上へ登りすぎていやしないか、下へ行き過ぎていやしないか、そのため稜線へ出られないのではないか、かなり不安な気持ちのまま歩く。片岡さんが、引き返してもいいぞ、と言ったが、一瞬視界が開けたときに水晶岳へ続く稜線が見えたので前進した。すると間もなく分岐を表す道標が現れたので、やっとトラバース終わりと、ホッと一安心...ところが次の瞬間木野君が十メートルほど滑落。更に一分もたたないうちに、何でもないところで今度は僕が転倒。最後の最後に気を抜いた僕たちに、さすがに片岡さんも気を悪くした。

 水晶岳へ向かう稜線上でキャンプすることに。風のできるたけ弱い所を選んだが、それでも強烈なのが時々来る。寒いし雪まみれになるしで、早く張りたいが、テントはあおられ、せっかく打ったペグは引き抜かれでなかなか進まない。その最中僕が不用意にくくりつけていたテントシートが風に飛ばされてしまったが、二人とも何も言わず許してくれた。さらに、テントも危うく飛びそうになったが、今度は片岡さんがヒモ一本つかんでいたおかげで事なきを得た。 一時間近く掛かってようやく設置。中に入って温かいお茶を飲むと、もう外へ出る気は無くなった。久々にテントの中でのんびりできて、天気図も書けた。寒冷前線がまさに通過中で、夜は一段と激しい風に加え、強い雪。

木野:
 ラッセルが終わり、雪深くなくなったので、足取りが軽くなる。ホワイトアウト状態のトラバースだが、深雪を踏み抜くことと比べたら全然苦にならない。というか、むしろこういう所のほうがウキウキしてしまう。この時は精神的にやや立ち直りつつあり、「北アルプス、ダムのそば、ホワイトアウトとくれば、織田裕二状態やん!」とわけのわからないテンションであった。

 別に油断していたわけでもなんでもないのだが、突然滑落。「生と死の分岐点」という本で、「滑落時は恐怖や痛みというものを一切感じないらしい。」という記述があったが、まさにそうだった。一瞬何が起こったのかわからないまま滑っていく。しかし気が付くとピッケルで滑落停止動作をしていた。雪上訓練は5月合宿以来行っていないのだが、体が覚えていたようだ。フカフカの雪だから良かったものの、アイスバーンだったら間違いなく止まらない。この後、片岡さんにこっぴどく注意されたのは言うまでもない。

 テント設営場所が決まったが、相変わらず風が強い。小椋のくくりつけていたテントシートが吹き飛ばされ、慌てて追いかけようとしたが、疾風のごとく湯俣方面へと消えていった。小椋の不注意ではあるが、バテバテでさんざん彼に迷惑をかけている僕としては何も言えない。人間ができていないので、もしバテずに迷惑をかけていなければ、ボロカスに彼を責めていただろう。しかしテント生活がこれほどありがたいと思えた日はなかった。

パ○ウェーブ研究所←パ○ウェーブ研究所(片岡氏命名)。ナイスネーミングに木野大ウケ。リーダーは何でも白ゴミ袋でパッキング。まさに白装束集団!
 電磁波対策ではなく、防水対策なのだろうが、何がどこに入っているのか本人もわからない。透明な袋を使うなど、もうちょっと考えればよかったか(ちなみに木野は百均にてチャックつきの透明ビニール袋を購入)。

小椋毛入りの水小椋はとても寒がりである。雪を素手で掴むことも出来なかった。そのため、手袋を装着して雪を掴み、コッフェルに放り込むわけだが、装着していた手袋が毛糸の手袋だったため、雪溶け水には大量の毛が...これ以降、水に浮いたりしている毛が小椋毛と呼ばれるようになった。

水晶岳に旗を立てる!左の写真の笑顔からは、先ほどまでホワイトアウトでビビっていた面影が想像できない。なんとかテントも設営でき、まるで天国のような室内で安堵感があったのだろう。
 明日はいよいよ前半のヤマ場である水晶岳へ。主将お手製の、「復活大阪市立大山岳部」の旗がたなびくか!?

12月30日(火)曇り時々晴れ
<2:00〜3:00(雪かき)-5:45(起床)-7:00〜8:00(雪かき)-9:00(出発)-10:00(東沢乗越)-11:30〜11:50(水晶小屋)-12:50(東沢乗越)-14:15(テント場)>

小椋:
 少し重いがしばらく我慢していたら、いつの間にか体の半分が雪の下。あわててみんなを起こす。テントの床から50センチメートルほど埋まっただけにもかかわらず、雪の圧力は想像以上に強く、入り口をふさいだ雪のため中々外に出られず隙間から這い出した。 片岡さんの指示により、テントの周りをぐるりと一周50センチ以上スコップで掘り下げるが、風雪が激しくて、掘り下げたはなから埋められてしまう。気がつくとテントもダメージを受けていたが、それほどでもなかったのでそのままにしておいた。一時間ほどで切り上げる。雪山のテント生活のつらさをつくづく感じさせられる一晩だった。

木野:
 リーダーがなにやら騒がしいので、目を覚ますとそこには雪の塊が。ここってテントの中だよなあと思いつつ、よく見ると圧死しかけたリーダーの姿が!もう少し早く起こせと片岡さんに怒られていたが、気の優しい彼のことだから熟睡している二人を起こせなかったんだろう。ちなみに僕はテントの真ん中だったので快適だった。

雪かき

小椋:
 明るくなって外を見ると、雪はあがっていて空も明るかったが、ホワイトアウトしているので水晶岳のアタックはしばらく様子を見ることにし、その間にもう一度雪かき。しばらく待った後、天候はよくなってきているという判断の元、出発。今回の山行の最大の山場ということもあって、やや緊張していた。歩き出して間もなく横からの冷風により顔半分が凍り始めたので、初めて目出帽をかぶる。東沢乗越までは稜線上の雪はしまっているし、トラバース斜面の雪は柔らかいしで楽勝だったが、そこから先はずっと稜線を巻く感じで、何箇所もツルリとした斜面のトラバースがでてきて、その上アイゼン調節もうまくいかず、しきりにはずれそうになるので、頭が東沢に滑り落ちる恐怖に満たされてきた。それでも天候も回復したこともあって水晶小屋に到着。でもここまでが限界、これまでの様子を見ているとやめておいたほうが無難じぁないかなあと、片岡さんも言ったので水晶岳登頂はあきらめた。

 帰りの道はわりあい平気に歩け、水晶・鷲羽・槍はもちろんはるか北には立山三山も眺められたので、上天気の雪景色を楽しみながら余裕を持ってテント場まで戻った。

真砂岳 テント場付近

木野:
 ここまでの僕の様子から、この日はテントキーパーをすることになった。正直言ってホッとした。この時点ですでに精神的・体力的にクタクタになっており、前日から、「明日はテントで留守番したいんですけど。」と言っていた。もちろんその時、「それはお前が判断することではない。」と片岡さんに一蹴されたのは言うまでもないことだが。冬山では明日のことは明日しかわからない。その都度ベストな方法を判断しなければならず、前もって決めることはできないことぐらいわかっているつもりだが、やはりどうしても先のことを考えてしまう。

 二人を見送った後、天気図を書いたり、中途半端に残ったガスを利用して水を作ったりしていたが、それでも時間を持て余してきたので外で写真を撮ったり雪かきをした。前日ほど天候が悪くなく、疲れることも危険も少ないので、思う存分雪遊びを楽しんでしまった。水晶アタックに参加できない悔しさも少しはあったが。

 後で知ったことだが、リーダーは水晶アタック記念の旗をテントに忘れて行ったらしい。彼らしいといえば彼らしいチョンボだが、結局水晶小屋止まりだったので持って行かなくて正解か。彼が自力で旗をデザインしたことに感動すらしていたというのに、忘れるか、普通。

雪洞にたたずむ小椋雪洞もどきを作ろうとしていた。人間の高さぐらいまでは掘れたが、あまり実用性はない。天気が良かったので南には槍ヶ岳、北には立山がよく見え、最高のロケーションであった。

槍が見える 立山が見える

北アルプス編その3へ続く


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2004-01-27公開 04-05-24修正再公開 04-05-24更新 文責:小椋剛、木野英史 編集・校正:木野英史