今回、正直なところ、始めは乗り気でなかった。阪急梅田駅から出発した高速バスにしばらく揺られながら、ぼんやりと外を眺めていると、チョウチョが飛んだり、花が咲いていてその花びらが風に舞ったり、新しい葉っぱが芽吹いたりしているのが見えて、俺は寒くて殺風景な雪と岩の世界より、虫どもがウジャウジャしたり、鳥が飛んだり、花の匂いや草いきれのする暖かだったり、暑苦しかったりする藪山のほうがずっと好きだもん、などと考えていた。雪がほとんど解けている伊吹山や、雪はあっても、もう生き物たちが活発に動き出しているだろうと思われる鈴鹿山脈、はなから雪など余り積もってない養老山地など車窓から見えはじめた地元の山を思うと、たまらなく懐かしい感じがしてきて、今すぐにでも中へ分け入りたくなってきた。それに比べてアルプスは、夏は人・人・人で俗化して、一人で縦走しても虚しくてとても退屈だったし、雪があるときはほとんどなじみの無い世界...何だかなあ...でも雪を載せた山塊が近くに見え始めると、ようし、登ってみようかしら、とも。結局松本に着いたときには、登って見せようではないか、と思えてきた。
松本駅から中の湯まではタクシー、そして降りて歩く。すぐさま釜トンネルというトンネルに入ったが、トンネルを抜ける間に20〜30人は人とすれ違った。上高地はこんなにも人が...というほど人が入っていた。天気はまことにすばらしく、雲ひとつ無い青空の下、雪を頂いて白く輝く焼岳やら穂高連峰は美しく、迫力もあり、中々見ごたえがあった。大量の登山靴とスキーで作られた踏み跡をたどっていくと、明神橋を越えた辺りから空が夕焼けを始め、梓川の広い河原と周りをぐるりと囲む山々がうす赤く染まり、空は何となく虹色を帯び一番星・二番星がキラキラ現れて、歩いていると頭がぼんやりして夢心地になってきた。更に日が落ちると、蝶が岳方面の山並みが、何か怪しく神秘的な事でも起きているのではと思いたくなるような、どす黒い闇に包まれ静かに立っていた。

徳沢の小屋は見つけられなかったが、19:00近くで、すっかり暗くなってしまったので道の脇にテントを張った。明日は天気が崩れるとのことだが、空は満点の星空。頼むからミゾレだけは降らんでくれ、と思いながら食後すぐ寝た。

キャンプ地から200mも離れていないところに徳沢の小屋があった。天気はやはり崩れてきて、7:00ごろには空から何やら降ってきたが、ミゾレに比べるとまだよい湿った雪だった。サラサラサラサラどんどん落ちてくる雪のなか、長塀尾根にとりつくと、トレースがしっかりと残っていて、雪も締まっていて足も沈まないので、思ったより順調に上って行けた。始めはかなりの急登だったが、次第に尾根は広くゆるくなってきた。樹林の中の見通しが悪い広い尾根で、迷いやすそうだったが、トレース、目印の赤テープともにしっかりしていて難なく進んでいけた。道はずっと樹林帯の中で、雪が静かに穏やかに降るだけだったが、蝶ヶ岳ヒュッテまであと数百メートルという所で樹林帯が終わり、吹きさらしの稜線となっていきなり激しい風雪となる。ウゲ〜と思ったが、佐々木さんは勇ましく前進してくので、遅れまいとついていった。顔面にモロに雪と風がぶつかってきて、めがねが曇る・ひん曲がる、で目も見えにくいし息も詰まるし、おまけにハイ松にズボズボ足がはまり放題で、余りに顔が冷たく凍傷が心配になり、たまらず目出帽を着けようとリュックを下ろしたが、見つけることができず吹雪の中で立ち往生してしまった。天候の余りの激変に驚いて、少しパニックってたようだ。

蝶が岳ヒュッテは冬季小屋を開いていてくれたので、ありがたく利用させてもらう。外の風雪に比べると、毎度の事ながら、天国のようだった。小屋の中にテントを張ってから、温かいお茶を飲んで、寝袋にくるまってうたた寝して、天気図を取り、夕ご飯を食べてまた眠る。とてもくつろげた。外の雪は一晩中ずっと降り続けているようだった。
雲一つない素敵なお天気で、小屋から出ると北方真正面に常念岳が見えた。小屋から蝶槍を下る所まではとても広い吹きさらしの稜線で、そこから常念岳最後の登りの手前までは樹林帯を通る稜線、そして常念岳最後の登りは当然岩のガツガツした所を登らなくてはならなかった。視界不良で道に迷う以外、危険は特になさそうな易しい稜線だったが、アップダウンがかなりひどくて、おまけに昨日の雪が40センチ以上積もっていたので、膝から腰のラッセルを一日中絶え間なくやらされ体力を予想以上に消費させられた。

佐々木さんが入山当日から足の裏に大きな水泡をつくってしまい、歩行にかなりの支障をきたしていたので、途中から一人でいくことになった。天候が文句のつけようの無いほど良かったので、何の心配もせず、ただ何としても常念に登ってやるという気持ちでがむしゃらに歩いていくが、頂上はもう目の前だというのに中々近づけずどんどん時間が過ぎてしまって、とうとう諦めざるを得なかった。
常念への登りの途中、岩の隙間に詰まった雪がムクムクと盛り上がり、ポコンとはぜて二羽のライチョウが出てきた。とても可愛い出現の仕方だと、個人的には感じて、ライチョウそのものもいっそう可愛いく見られた。天気が荒れているときはこんな風に避難するのかな?と思いながら、思う存分ライチョウを間近な距離で見た。

帰りは大変だった。だんだん歩くのが遅くなってきて、蝶槍への200m近い登りでとうとうバテ始め、三歩進んではゼーゼー息をするという状態になり、左肺から胃にかけて違和感と痛みがしてきた。その状態で本で読んだシゴキのことを思い出すと、しごかれている自分を想像してとても嫌な気分になってきたので、ほかの事を考えようとしたが、ピシリ!ピシリ!というピッケルで腿をたたかれる音が頭の中でしきりに鳴り響いた。歩調までがピシ!ピシ!ピシリ!ゼーゼー、で、やんなってきた。それでもヨロヨロと止まらず歩き続けたおかげで、真っ暗になる前に小屋にたどりつけた。
小屋を出発したときには晴れていたが、時間がたつにつれ槍穂高方面から雲がどんどん現れ、とうとう雪となった。前日の雪でトレースが埋もれ、道に迷う事が心配されていたが、赤テープが適当な間隔でついていたので大した事も無く順調に下れた。3時間ほど下ったところで単独で登ってくるおっさんとすれちがい、少しお話。そしてまた下る。今日の予定は上高地までなので徳沢から更に歩き、上高地バスステーションまで行きそこでテントを張った。夕方から再び天候が回復し、夕日に染まった穂高が見られた。

松本発大阪行きのバスが16:00だったので、のんびりしながらゆく。青空のおかげで山の眺めは良いが、上高地はただ散策するだけでは暇つぶしの様なもので、大して面白くも無い所だと思った。 出発前に、九大の松岡さんから松本市内のカレー・カツ屋「たくま」が美味いから、下りたらぜひ食べてみるよう勧められていたので、楽しみにして行ってみると、何とまあ臨時休業。仕方ないので他の店のカツカレーを食ったが、やたらと心残りで、残念で仕方なかった。それからまだ時間があったので、一人で松本市内をぶらついてから、やっとバスに乗り雨の中22時過ぎ大阪に着いた。